みんなのお話。
ハッピーバレンタインズ、ディ?
いつもの街と少し様子が変だと、莉煌は思った。
彼女は日課になっている露店巡りをしながら擦れ違う人達の様子も観察していた。
何だかみんな浮き足立った様子なのだ。
わくわくしたような表情。焦っているような表情。落ち込んでいるような表情。
人によって様々ではあったが、確実にいつも通りの様子とは違っていた。
そして、大きく違う事がもう一つ。
「あれ、今日は居ないのか」
いつもならこの時間にはここで露店を開いている筈の相方の絢音の姿が無い。
今日は朝早くに一人で先に家を出てしまって居たのだ。
多分露店の仕入れか何かなのだろうと余り気に留めなかったのだが。
耳打ちをしてみても「大丈夫です」としか返事が返って来ないし、少し心配になった。
しっかりしているように見えて、天然でどこか抜けている絢音。
悪い奴に引っかかってしまって居ないといいのだが。
その時目に留まった、一つの露店看板。
チョコレート カカオ 他材料。
チョコレート?
珍しいモノを売っているなと思い覗いて見る。
チョコレートは騎士団に居た頃に配給品として与えられていた。
甘みが強く、疲れた時に食べると疲労回復効果があった。
しかし、つけられている値段を見て驚いた。
こんなに高いモノだっただろうか。
「おい、チョコレートとはこんなに高価なのか?」
思わず露店主に尋ねてみる。
すると露店主は一瞬驚いたような顔をしてから、ぷっと吹き出した。
「嫌だなぁ、お客さん。商売戦略ですよ?今日が何の日か知らない訳じゃないでしょ?」
「・・・?」
意味深に言われて莉煌は頭を悩ませてみるも、思い当たるような事は出て来なかった。
思春期を騎士団で過ごした彼女は、当然今日が何の日なのか知らない。
何故チョコレートがこんなに高値で売られて居るのかも、
街を歩く人々が浮き足立って居るのかも。
「・・・すまない、何の日だ?」
「またまたぁ、からかわないで下さいよっ。あ、いらっしゃい」
露店主は真剣な莉煌の問いに笑いで返すと、チョコレートを買いに来たらしい別の客への接客へ移った。
腑に落ちない、と言う顔をしたまま莉煌はセイロンにまたがるとふらりふらりと露店街を抜ける。
何度頭を捻って考えてみてもあの露店主の言っていた言葉の意味が全く理解出来なかった。
気が付けば、露店街の裏側。通称、清算広場と呼ばれる場所へ出ていた。
何やらガヤガヤと声がして顔を上げて見ると、その先には少し人だかりが出来ている。
気になって近付いてみると。
「バレンタイン賛成派のみなさんは、是非我らがハニーハーツへ!」
「バレンタインと言う理解不能な日。我々ブラックバレンタインと共に反対しましょう!」
バレンタイン??
二人の人間が拳を握り締め、演説さながら熱く周りの人達に呼びかけていた。
だが、二人は賛成派と反対派らしく時々お互いを睨むようにしては、ふんっっと顔を背け合っている。
先程の露店主の言っていた事は分かった。
どうやら、今日はバレンタインと言う日らしい。
だが、また新たな疑問が生まれた。
そのバレンタインとは一体何をする日なのだろうか。
チョコレートと何か関係があるのだろうと言う事は想像がつくのだけれど。
「やっぱここはブラックバレンタインやろ」
「やっぱりか・・・」
聞き覚えのある言葉遣いとイントネーションがしてそちらを向くと、
傍らに頭の上にやる気のないたぬきを乗せたハイプリースト―確か瑠玖と言った、と
頭をライドワードに噛み付かれているアサシンクロス―確か海月と言った、が並んで立っていた。
どうやら二人は反対派へ就くつもりらしく、ブラックバレンタイン側の人間に話し掛けに行った。
あの二人はバレンタインが何なのかを知っているようで、楽しそうに笑いながら反対派の人間と話をしている。
もう少しあの二人と仲が良ければバレンタインが何であるかを聞く事が出来たかもしれないが
莉煌と瑠玖と海月は一度顔を合わせた程度で、会話らしい会話は殆どしていなかった。
こちらが顔と名前を覚えていても、向こうは多分覚えていないだろうと思う。
だが、楽しそうな姿に羨ましさを覚えた。
自分はこう言ったイベントらしきものに参加した事が全く無い。
だから出来れば参加してみたいと思ったのだが・・・。
何か分からないまま参加しても面白みに欠けてしまう、と莉煌は一歩を踏み出せずに居た。
「あれ?莉煌さんじゃん」
ぽんと背中を叩かれて振り返ると、頭に装飾用花を付けたプリーストがにこにこして立っていた。
確か、この人はオークダンジョンで瀕死の所を助けてくれたプリースト。
名前は蓮と言った筈。
莉煌はセイロンから降りると、蓮に向かって頭を下げた。
「蓮、先日は世話になった」
「あぁ、いいっていいって。あんな前の事気にしなくていいよ」
蓮は照れ臭そうに鼻の頭を掻いて笑う。
だが、莉煌にとっては命の恩人だ。
例えかなり日が空いてしまっていたとしても、しっかりとお礼を言っておきたかった。
「莉煌さんもここに居るって事は、バレンタインチョコ作りに行くんだ?」
「・・・バレンタインチョコ?」
聞いた事の無い言葉が蓮の口から飛び出した。
オウム返しな感じで聞き返すと、蓮はキョトンとした顔をした。
「あれ、もしかして知らない?」
「あぁ、恥ずかしながらバレンタインと言うものが一体なんなのか、分からなくてな」
困っている。と告げると蓮は一瞬固まって、それから何度か頷いて。納得したように、そっかそっかと言ってくれた。
別に絢音から詳しく莉煌の事を聞いていた訳ではない。
彼女が少し前まで騎士団に所属していて、小隊の隊長を務めて居た事など知る由も無かった。
だけどなんとなく察したのだ。莉煌の性格からしてこの手の事に疎いのだろうと。
まぁ、それくらいは蓮でも分かる。
「えっとね・・・」
ざわざわとする清算広場の片隅で、蓮は莉煌にバレンタインとは一体何なのか、を詳しく説明し始めた。
「にじゅう、ごひきっめっ!」
きゅうと唸って小猿が地面にころりと転がる。
はぁはぁと肩で息をつきながら、絢音はヨーヨーがドロップしたイチゴを拾ってカートの中へ仕舞い込んだ。
現在絢音はチョコレート工場でのアルバイトの真っ最中。
所属する陣営は勿論ハニーハーツで、大好きな相方である莉煌の為にバレンタインチョコを贈ろうと
こうしてパティシエレベルを上げる為に頑張っているのである。
頑張ったね、と言わんばかりにとろりが足元で飛び跳ねた。
「25匹も倒さなきゃいけないなんて、ヨーヨーでもちょっと大変だね」
とろりに向かってそう言うと、絢音は蝶の羽を使いチョコレート工場へ戻る。
討伐を果たした事を報告しなければいけないのだ。
色々なアルバイトをして、もうそろそろパティシエレベルは3になる。
そうすれば色々なチョコレートを作って貰える事が出来るようになるのだ。
去年までは自分でレシピを入手して作るのだったが、今年はプロが作ってくれると言うので
味の保障は間違い無いだろう。本当は自分で手作りしたモノを渡したい所だけれど。
料理は割りと得意な方である絢音もお菓子作りはちょっと苦手だった。
味はいいのだ。味は。だが、どうしても見た目が変になってしまう。
不器用では無いと思ってはいるのだけど・・・。
「戻りましたー」
「おお、絢音ちゃんお帰り。どうだい、モンスターは退治出来たかい?」
出発前、絢音の細い腕を見て心配そうにしていた運搬課の課長さんが声を掛けてくれる。
それに対し絢音はガッツポーズをして見せた。
いくら完全製造型のアルケミストとは言っても相手はヨーヨー。
それに使用武器はトリプルクリティカルサーベル。
沢山の数に囲まれなければ楽勝である。
「はいっちゃんと25匹討伐して来ましたよ」
「そうか!ありがとう、助かったよー」
そう言って、絢音の賛成派の証にぽんぽんとスタンプを押してくれた。
3、までの所がいっぱいになってパティシエレベルが3になった事が証明される。
嬉しさが込み上げて、自然と絢音は笑顔になっていた。
「ありがとうございます!」
「こちらこそ。また頼むよ」
「はい!」
早速絢音はお菓子作り教室へ向かった。
中に入ると鼻をくすぐる甘い匂い。
溶けたチョコレートとほろ苦いカカオの匂いがした。
沢山の人が集まっていて、チョコレートを作ってくれるパティシエに話し掛けるのが難しそうだった。
人だかり過ぎてまずそのパティシエの姿が見えない。
多分白いコックスーツだとは思うのだけども、コック帽子すらも見えないから困るのだ。
埋もれてしまっているのだろうか。一体何処に居るのだろう。
おろおろしていると、肩を叩かれた。
「きゃっ」
「なんや、そんなびっくりせんでも」
「あ、マスター」
絢音の肩を叩いたのは、瑠玖だった。その隣には当然のように海月の姿。
二人もアルバイトを終えてチョコを作りに来たらしかった。
しかし、二人が胸に付けているのは反対派。ブラックバレンタインの証。
絢音はそれを見て眉を寄せる。
「マスター・・・それって・・・」
「ん?あぁ、そう。俺ら反対派やから。敵やな、絢音」
口の端を上げて意地悪そうに笑う瑠玖。隣では海月が溜め息をついていた。
まぁ、この人が普通にハニーハーツに所属する訳は無いと思ってはいたけれど。
本当に反対派に所属するとは。
絢音はそう言われて苦笑するしかなかった。
「しっかし混み混みやな。全然パティシエ見えへんやん」
「そうなんですよね」
一生懸命背伸びしてみるも、やっぱり全くコック帽子が見えない。
本当にパティシエが居るのかと不安になって来る。
そうしていると、突然瑠玖に抱えられた。
「あ、あのあのあの!マスター?!」
「突撃するしかないやろ。行くで、海月」
「はいはい・・・」
どうやら心からイベントを楽しんでいるのは瑠玖のようで、海月はそれに付き合わされていると言った感じだった。
そうでなければ海月がブラックバレンタインなんぞに所属する訳が無いのだから。
言葉通り瑠玖は絢音を抱えたまま、人を掻き分け進んで行く。
当然嫌な顔もされたが、お構い無しだった。
・・・関西人の血がそうさせるのだろうか(意味不明
人だかりを抜けると、一人の料理人が調理台の前に立っていた。
手には中華なべ。
どう見ても中華なべで、服装もコックスーツではなく中華風。
可愛くて甘いお菓子を作るパティシエには全く見えず、味が濃くて辛い中華料理を美味しく作ってくれる
中華料理専門の料理人のようだった。瑠玖も海月も、瑠玖に抱えられたままの絢音も。
その姿を見て暫く唖然とする。
だが、その男は熱く高らかに「お前の望みを言え!」と叫んでいた。
周りの人達はもう慣れてしまったのか次々と注文を言い、カカオをカカオ豆へと分解して貰ったり
チョコレートを作って貰ったりと色々と頼んでいる。
そして、その男はやっぱりどうやらパティシエマスターのようで、仕事が早くテキパキと作業をし、
言われた通りのモノを完璧に作ってみせるのだ。
人を見た目で判断してはいけないと言ういいお手本である。
「中華料理の人やないな」
「そうだね」
瑠玖はやっと絢音を床へと降ろすと、自分の道具袋から材料を取り出してパティシエにチョコの作成を頼んだ。
海月も道具袋から材料を出したので、習って絢音も材料を取り出す。
作って貰う予定なのはストロベリーチョコ。
形も色合いも可愛いし、何よりイチゴは莉煌の好物である。
きっと喜んでくれるに違いない。
瑠玖は一体何を作って貰ったのか。パティシエから受け取った箱を道具袋に仕舞いながらにやにやと笑っていた。
それを見て海月がまた溜め息をつきながら、パティシエに材料を渡す。
チョコを作って、ラッピングまでしてくれる。出来たパティシエである。
次から次へとパティシエには声がかかり、彼は聞こえた順番通りに作業をしていた。
言わば言ったもん勝ちと言う事だ。
絢音は彼の目の前に居るが、なかなか声を掛けられずに居た。
「絢音、何してん。声かけな作ってくれへんぞ?」
「は、はい」
すぅっと息をすって、腹を括るとパティシエに向かって口を開いた。
「パティシエさん、ストロベリーチョコお願いします!」
そう言って材料を調理台へと置くと、はいよっと返事が返って来た。
数分後。
可愛らしい小箱が絢音へと手渡された。
この中に入って居るらしい。
嬉しくて、一度抱き締めてから優しく丁寧に道具袋に仕舞う。
「イジワルです、酷いですー」
「泣かんでもええやんかっ」
焦ったような声がしてそちらを向いたら、カプラWが泣いていてそれを瑠玖が慰めていた。
「マスターどうしたんですか?」
何かもう一つチョコを作って貰ったらしい、海月が道具袋に箱を入れながらまた溜め息を吐いた。
「チョコレートの塊。カプラWさんに渡したんだよ、面白がって」
「ええ?!」
さすが反対派、と言えばいいのだろうか。
純粋な乙女心を弄んだらしい。可愛い悪戯とも言えなくは無いが、相手は泣いてしまった。
流石の瑠玖も困ってしまったらしく、慌てて慰めている。
数分後、カプラWは泣き止んだが拗ねてしまって、瑠玖とは一切口を利かなくなってしまった。
当たり前である。
まぁ、泣き止んでくれたからいいかと渋々瑠玖は引き下がり、戻って来た。
「ねぇ?瑠玖。馬鹿じゃないの?」
「いや、反対派らしい事をしよう思てやな」
「それで女の子泣かしてちゃ最低でしょう」
海月に畳み掛けられて、言葉を失う瑠玖であった。
「ま、まぁ。チョコも作ったし、戻るか?」
「まぁそうだね。ちょっとここの匂いに気持ち悪くなって来た」
二人は戻るらしく、瑠玖は呪文を紡ぎ出す。
海月は絢音の方を振り向いた。
「絢音も一緒に戻る?」
多分ポタの行き先はプロンテラ。
工場内からも戻る事は可能だったが、折角なので絢音は一緒に戻る事にした。
元気に、はい!と頷く。
ワープポータル!!
床に広がる魔法陣。その中央に立ち上った光の柱に絢音は足を踏み入れた。
ひゅん、と絢音が姿を消した直後。
ペコペコに乗った一人の女騎士がお菓子作り教室へと現れた。
その姿を見た海月は、何処かで見た事があるな、と思ったが誰だか思い出せなくて
首を傾げたまま光の柱の中へ。
瑠玖はその存在に気付かないまま、光の柱の中へと入り魔法陣は跡形も無く消え去った。
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